(株)広栄社 代表取締役社長 稲葉修 著 「楊枝から世界が見える」 から抜粋
房楊枝は、いうまでもなく、歯ブラシの原形ですが、明治時代の初めにアメリカから歯ブラシが入ってきて、その姿を消しました。房楊枝では歯の裏側が磨きにくい、木のささら状になった部分が取れて口の中に残る、耐久性がないなどがその理由と考えられます。日本製第1号は、明治5年頃、大阪で、鯨髭に馬毛を植えた楊枝を製造し、それに「鯨楊枝」の名称をつけて大阪市内の小物屋で販売された歯ブラシということになっています。
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デンタルピックとしての楊枝
江戸も後期の頃になると、次第に楊枝を使う人々が増え、需要が拡大し、明治の中頃から今の河内長野を中心に、楊枝産業が始まりました。時代とともに楊枝は、歯につまった食べカスを除去する道具から、歯を予防するデンタルピックへと拡がりをみせています。そして、今では、歯のケア用品としてのポジションも高く、若い人を中心に三角ようじをはじめ、糸つきようじ、歯間ブラシの普及が急速に進んでいます。
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